私は、約25年前、民放の「朝まで生×××」が始まった当初にスタッフとして関わっていた。そのときは、円卓に座るパネラーだけではなくて、観客席にもゲスト級の論者が座っていた。
1986年はチェルノブイリの事故が起きた年だから、原子力をテーマにした討論が多かった。何回目であったろうか、原発推進論者の桝添要一(当時東大教授)が、「そもそも(みなさんは)核抑止力の存在自体を認めないんだから(話にならない)」と唱えたとき、観客席に座っていた私は思わず「なんて単純なやつだ」とつぶやいたら、隣に座っていた小中陽太郎さんがにっこりしてうなづいてくれたのを覚えている。
小中先生の真意はむろん分からないが、親近感を覚えたし、ひょっとしたらこの人は切れる人かもしれないなと思った。
今、研究室の隣に東大法学部卒の院生がいて、彼は桝添要一先輩のことを高く買っているようだ。
私としてはロンドン軍縮時代の争点に似ていると思った。
すなわち、当時の日本には大艦巨砲主義(どの国よりも大きな大砲を持った巨大な戦艦を持つことで抑止力を有するという考え)を唱える論者の方が、空母機動部隊を特化した方が抑止力を有するという論者よりも世論を獲得していたらしいが、核武装主義も原発推進主義も同じに思えてならない。
実際に核武装したところで「いくさ」で効率的に使えるのか?使えないものを持っていて本当に抑止力と言えるのか? 原発もそうだ。汚染されたブラウンフィールドや海洋のクリーニング代を含めて、資源や予算を効率的に使っていると言えるのか?
私のような論者は25年前から2ヶ月前まではずっとマイナーであり、思想的差別を受けることを恐れてなおさら書けなかったと思うが、今では勇気を持って書ける。
果たして今回の事故で汚染された海洋の責任を東電なり日本政府が果たすとすれば、その調査費だけでも数兆円では済まないだろう。東電は海洋では拡散されて被害はそれだけ薄まると説明しているが、生態系に蓄積・濃縮されていく部分については手のつけようがない。重金属は魚介類に蓄積・濃縮されることは良く知られているがマイナーアクチノイドがどのくらい蓄積・濃縮されていくのかについては十分な研究はなされていない。
かつて、ソ連が行っていた日本海への核廃棄物の海洋投棄、米国ビキニ環礁、仏国ムルロア環礁などでの核実験への痛烈な批判は、もはや自国に対してなされるべきだろう。