カテゴリー別アーカイブ: 事務総長ブログ

鬼怒川氾濫は都市計画と土木の失敗

阿部等先輩の
現代ビジネスの記事、拝読しました。
目の付け所、さすがだなと思いました。
ああやはりそうだったのかと、共感しました!
ダムについては90年代、建設省と一緒に仕事をしていた実務があるので、あくまでも実務的な感想ですが、

鬼怒川と小貝川がよく氾濫するのは、合流した先の利根川の水位が高かっったからではないでしょうか。(利根川側に流れないのでたまっていくのです。)
水位が高いのは、もともと天井川的構造を持っているが日常時に上流のダムで水量を抑制し流量を少なくしてきたため川底の堆積物を海に流すエネルギーが減ってしまい年々川底が上がってきているためです。が、利根川上流ダムの放流によっても水位が瞬間的に上がったのかもしれませんね。・・・いずれにしても今後もますます水位は高くなるでしょうので、このことを計算に入れて上流ダムの放流システムを見直さなくてはなりませんね。
なお、今回も堤防決壊直前にダムは大容量の放流をしていたようですが、いつも大雨が降りはじめてからピークに達したとき、たいてい上流のダムはそれに合わせて大容量の放流をしているのではないでしょうか。
→http://www.nilim.go.jp/lab/fdg/info/research-results/ozeki_damusousa-koudoka.pdf
ダム所長が恐れているのは、ダム容量がいっぱいになることではないでしょうか。構造計算上は耐えることになっていますが、実際には計算外のことが起こるかもしれないですし、(近年の気候現象はそういう状態が見られなくなりましたが、)その機に大容量の放流を行うと下流地域が甚大な被害に遭っていて火に油を注ぐことになりかねないと所長はまず考えてきたのではないかと思います。
だから、どうしてもダムへの流入量に合わせて放流してしまう。それでも一定量はダムで受けていますから、一定量の水位減少には貢献したという説明は可能でしょうが。
というように、(日常は川底を上げ、大雨のときにはそれなりに瞬間的に水位を押し上げてしまうという・・・それで堤防を破壊するという)システム的な矛盾が露呈してきていると考えますね。
とくに利根川上流ダムに八ツ場ダムが完成しても、同じように放流するとなると、(いつ利根川の水位が瞬間的に高くなるのか、)このような危険性に及ぶことに敏感にならなくてはならないかもしれませんね。
90年代の後半から利根川水系等東京圏管轄の建設省は(おそらく近年まで)、むしろ氾濫地域の水を安全に逃がすための遊水地や堤防などの事業、あるいはスーパー堤防にシフトするよう考えてきたと思います(←国の報告書にも書いてあります。)が、地元の県知事・都知事らが事業区域周辺地主の合意形成や買収が難しいことから敬遠してきた経緯があります。(民主党もスーパー堤防を事業仕分けに入れ、八ツ場ダムを事業継続しましたが。)
今回の水害を教訓にして、もう一度、遊水地や堤防事業に太い予算が回るとよいと思いますが、上流ダムについても放流量を利根川上流、鬼怒川上流、など総合的に放流とインパクトを高度に予測できるコンピュータソフトの開発と導入が必要かもしれません。
以上、感想でした。

宮西悠司という男

宮西先生は、70年安保時代に都立大学にいた。ちなみに波多野先生はそのとき助教で、助教の地位の向上のため当局と闘ったと(そして今日助教の給料が高いのは彼のおかげであると)聞いている。宮西先生は世田谷区出身のシティーボーイで学生運動を尻目に見ながらボート部に入部。当時の学生運動に対しては、リアリティーを感じられなかったからだという。
彼はボート部で青春を燃やすことを決意する。学生運動になじめなかった多くの学生がボート部などの体育会に入ったという。最初はこぎ手として参加していたものの、やがてマネージャーになれと先輩から言われて、以降部員たちの生活を支える使命に身を捧げることになる。当時の学生はみな貧しかったという。都立大の中では歴史のあるボート部(漕艇部)だが、東大などと比べると装備の貧しさに情けなくてしょうがなかったという。
彼は、合宿先の手配から食事やアルバイトの手配まで「貧しい学生のためになんとかしてあげたい」一心で奉仕したという。その気持ちが、将来の真野地区での係り方につながっているのだという。彼は長身でがたいがよいほうだが、母性愛のようなものを感じる時がある。ボート部の部員に対して自分が支えてあげなくてはならないといった愛情のようなものを学生時代に抱いていた青年だったとは。
だが、彼はボート部を突然離れ、神戸市に移住する。それは彼自身「ボート部に対する裏切りだった」という。70年安保はあっけなく学生の大敗に終わり、大学の授業も満足に受けられず、卒業もできなくてふらふらしていた頃、彼は自分自身が分からなくなり神戸に行くことを決意した。当時多くの学生がそのような感情を抱いていたという。私は、いるかのなごり雪の「・・・ふざけすぎた季節の後で、今春が来て・・・」を思い出す。
彼は神戸という新天地で「自由」を手に入れ、たまりたまっていた不完全燃焼の燃え粕を一気に燃やすこととなった。これが真野地区の伝説の始まりである。
彼の70年代末から80年代初頭の真野での会議のテープを聴くと、ところどころ建築基準法や都市計画法の認識の誤りが見え隠れする(つまり知識的には素人なみだが)ものの、専門家としてどうどうとした話っぷりをしている。まるで20年間も都市計画をやってきたベテランコンサルタントのように。そして気概を感じる。
ここに私は社会学でいう「サイコヒストリー」を引用せざるを得ない。サイコヒストリーとは、辺境の地で育った主人公が自己のアイデンティティを強く求めようとした企てが、大衆の社会的共鳴盤を揺り動かし社会変革をもたらすという過程を明らかにする研究である。代表的な例がヒトラー、ガンディー、ルターなどであるが、宮西先生もまさしくこれだと思った。

宮西先生は、復習をしないと自ら語る。後ろを振り向かないということだろう。あるいは過去のことに未練を持たないということかもしれない。
「復習をしない」とはペーパー型のフィードバックをしないということだ。
しかし、先生はとても記憶の良い人だ。頭の中で情報を管理されている。普通ならば外在化しないとなかなか抽象的な分析ができないものだが、彼は頭の中でやっている。
頭の中というのは実に調法だ。重要なものは記憶に残り、そうでないものは自然と忘れていく。重要な情報だけ管理していれば良い。
しかし、それゆえに彼の判断の過程が外から分かりにくい。彼のコンサルタントとしての技を評価したり、後継者に渡していくことが困難なのである。
よく、コンサルタントの評価は、できあがった町で評価すればいいという意見を耳にする。
しかしそれはハードに偏った詭弁に過ぎない。
真野地区に近接して丸山地区というのが神戸市にはある。
むしろ丸山地区の方が先輩にあたり、国内での注目度も高かったが、そこに入ったコンサルタントは宮西先生とは異なり、三宮の再開発など数々の業績を残した人だが、丸山地区では住民運動をまちづくり協定に至らせることはできなかった。
丸山ではコミュニティ・オーガニゼーションが失敗した。
真野地区(実はいろいろやっているが)も出来上がった町を見てもそんなに顕著な成果は感じられない。
しかし、真野では住民の知らない間に看板一つ立つことさえ、ありえない。
住民民主主義というソフトが成立しているからだ。
それは宮西先生がコミュニティ・オーガニゼーションで成功したことを意味する。
それを彼自身は「住民に受け入れられた」と表現している。
私は、そんな彼の職人芸的なコミュニティ・オーガニゼーションの技法を「見える化」したくて研究を続けている。
その途中報告的なものが、地域社会学会年報27集に掲載されることになった。

コミュニティデザインという言葉

23日、大西隆先生記念シンポで、山崎亮氏の話を聞いた。

テレビでは顔が丸く写っているが、実物は細顔で精悍な雰囲気を持っていた。

話は、砕けた調子で、漫才を聞いているかのようだった。

彼は「コミュニティ・デザイナー」という肩書を流行らせた人物である。

彼はもともとデザイナーだったから、ワークショップを通して、市民参加の場を創って行くことをコミュニティ・デザイナーと了解しているらしい。

私は、コミュニティないしコミュニケーションを可視化できなければ、デザインもできないと考えており、まずは可視化することが科学的な所作の第1歩だと思っている。

それを怠ってしまったら、市民参加も宗教も変わらなくなってしまうだろう。 そうした批判的態度は絶えず持ち続けなくてはならない。

コミュニティ科学という言葉にはそうした理念を含ませたかった。 コミュニティデザインを科学的に論じることのできる研究会をなるべく早期に(できれば今年中に)立ち上げたいと、思いを固めた。

地域包括ケアシステムの可能性

前回の続き・・・

厚生労働省では、2025年(平成37年)を目標とし、地方基礎自治体に対して3年毎の介護保険事業計画の見直しをかけながら、地域の特性に応じた地域包括ケアシステム(地域の包括的な支援・サービス提供体制)を構築することを推進するとしている。

一言で言えば、高齢者が最期まで慣れ親しんだ地域で自立的に充実した生活ができるように包括的な支援・サービスを提供する、という意味だが、いまひとつ国民には、入院から在宅介護へのシフトチェンジだろうくらいにしか思われていない。

事実、関連する様々な識者のレポートを見ても、そこに出てくる単語は「介護」「ケアワーカー」であり、その目線で述べたものしかない。

しかし実際に、高齢者が自立して生活できるようにするためには、(車を運転しなくても買い物に行けるように)買い物弱者の問題を解決すべく都市計画の視点が必要だったり、予防医学の観点から「食」の視点が必要だったり、あるいはコミュニティ再生の観点から「コミュニティデザイナー」のような人材育成の視点が必要だったりする。

厚生労働省でも、課題解決のために「地域資源の発掘」を大きく掲げており、その中で「地域リーダーの発掘」という言葉は見当たるのだが、都市計画や「食」によるソリューションについては(国土交通省や農林水産省への気遣いか)一切記述が見られない。

都市計画のコンテンツが見られるのは東京大学の高齢者総合研究センターのレポートくらいで、「食」については福祉事業所等で回覧されるユーザー側の雑誌に見られるくらいだ。

しかし、「医食同源」という古来の発想に立つならば、厚労省と農水省の縦割りもない話であって、基礎自治体がいかにこの壁を崩せるか、が鍵となっているのだと私は思う。

また、そのことを実践していくための「地域リーダー」というのも、これまでの「ソーシャルワーカー」のみでは務まらないのであって、垣根を越えてあらゆる知識を豊富に備えた「コミュニティデザイナー」が必要なのである。

まさに小布施町には、地域包括ケアの「コア」となる新生病院があって、各コミュニティの「サテライト」となる診療所があって、インフラは敷かれているのである。

そして、耕作放棄地という「地域資源」と、コミュニティデザイナーとしての資質を備えた有能な「地域リーダー」が、眠っているのである。

今、農業の世代交代が行われている時期にあって、まさに農業のアントレプレナーたちが、「地域リーダー」としてコミュニティをデザインしていくに最適のタイミングなのである。しかし農業家は専門家であって万能なジェネラリストではない。

小布施町のまちづくりの第2世代は、ぜひ農業で小回りのきく起業家たちと、それを支援する多方面のNPOや識者であってほしい。そして、これらの異なる業種を結び付ける「結束節」(ジョイントノード)は、新生病院でなくては果たせないのだと、私は考えている。

これが全国でも初めての小布施型地域包括ケアシステムとなることを望んでやまない。

以上

建築学とまちづくりのちがい

自分も建築学を学んだ者の一人として思うのは、その形を残すという行為の中に自分の記念碑を建てるという目的が少なからず隠されていることだ。

それに対して、まちづくりというのは地域住民の記念碑を建てることであって、そこに自分を残そうという目的はほとんどない。

これまで建築学の諸先輩方といっしょに仕事をしてきたが、この点で水と油である。建築の先生方はいわば自己主張の塊であり、それが価値である。まちづくりは自己主張がない。価値そのものがない。

しかし、世の中では「まちづくり」というと建築学といっしょに見る傾向がある。それ自体はかまわないが、ときどき「あなたは何がしたいの?」と言われる時がある。

私に「ある」のではなくて、あなたがたの見えないところにある理想的な世界観をこの地上にミニチュアとして成立させるためにお手伝いしているのです・・・それは後から結果として見えてくるものなのです・・・と言いたいのだが、その真意を分かってくれる人がどれだけ少ないことか。

それどころか、ついには専門職とはみなされず、事務のパートのごとく労働対価を低くみなされる。実際には時間も労力もかなり費やされるし、明晰な頭脳と判断を決するリスクを背負わなくてはいけない重責だというのに。

労働対価をたたき売りされると、悔しさがこみあげてくる・・・そういうあなたたちは、いくら給料もらっているの?・・・って言いたくなる。

わたくしはバブル世代だからそう思うのかもしれないが、当時は小さな会社でも新卒一人を入れるのに、年間500万円では利かなかった。会社側としては一人につき1千万の支出を見込んで、それくらいの覚悟で、雇用したものだ。

今はどうだろう。年間300万円にも満たないというのに、従業員にえらそうなことを言う輩がいる。

私は思う。いくらデフレだからっていったって、年間300万円じゃ、この道で生活なんてできないよ。

議員にでもなるしかないかな。

寛容であるだけでなく筋を通す市民(国民)であれ

「泣いて馬謖を斬る」・・・最近これを使った政治家は、石原老知事だ。(やや意味を取り違えているように思うが。)

規律に背いた者がたとえ腹心であっても、道理を通すためには彼の責任を不問にしてはいけないという意味だ。

福島原発の吉田所長もその意味でまずは罰せられなくてはならないはずだ。

戦場でも現場の判断で、指揮官の命令に背きながらも、その臨機応変な態度が大勢を救うことはある。しかし、その功績は、まずは軍法会議で罰せられた上でのことだし、当事者はそれを分かっていて判断している。

そうでなくては道理が立たない。

枝野官房長官は、3月12日時点で「大量の放射線漏れはない」「具体的な危険はない」と国民に発表した。まさにかつての「大本営」を演じた立役者と言える。

にもかかわらず、枝野氏の責任はいまだに不問のままだ。次期総裁の候補にまで挙がっている。

このような事例が今回は多すぎる。上に立つ者が、地震や津波のせいないしは東電のせいばかりにして、自分の情報収集能力の脆弱性については反省も謝罪もない。

ましてや、東電より上の立場に立ち、本来なら情報収集能力も上を握っていなくてはならない政府(枝野官房長官)が、東電からの情報がなかったことを言い訳にするとは何事か。

いずれにしても国民に誤った情報を公式に発信した枝野氏は、まずは責任をとって謝罪するべきではないのか。そのような公論を形成するのが市民の役目ではないのか。

そうしなければ危うい方向に国は流れだすような気がしてならない。

一方、松木けんこう代議士は、自ら筋を通した。党の規律に背いた責任は「除名」という罰で受けた。それを分かっていて彼は国民を救おうとした。

私は彼のような代議士が「ふつう」の代議士だと思う。

このような代議士を総選挙で選ぶかどうかも、また市民(国民)の役割ではなかろうか。

ヒューザー判決から3年~隠ぺいは罪なのか?

2008年3月にヒュザー元社長(小嶋進)に有罪判決(懲役3年、執行猶予5年)が出たことを覚えているだろうか。あれからちょうど3年がたつが、福島原発事故に際して、いつもこのことが頭に思い浮かんでならない。

裁判長(毛利晴光)の言う罪状は、グランドステージ藤沢を購入者に引き渡す以前に耐震設計に問題があることを知っていたにもかかわらずこれを引き渡し、代金を受け取ったというのが詐欺罪に当たるという主旨だった。・・・「一生に一度の大きな買い物をする人の心情を考えずエンドユーザーを軽視した悪質で無責任極まりない犯行。被害者は代金をだまし取られ、人生設計を大きく狂わされた。」・・・

この裁判長の道理が通るならば、今回の原発事故での国(枝野官房長官)も同罪の被告に当たるのではないかと思うのである。

水素爆発を想定し原子炉建屋の上部を壊れやすくしていたのは、国であり、また「ただちに健康に影響を与えるものではない」としながら近隣住民に事前告知を行わずベントを行ったのも国である。

「ただちに健康に影響を与えない」ことが正当化されるのならば、「グランドステージ藤沢」の場合も「ただちに崩壊するものではない」ことが正当化されるべきではないのか。

そもそも、姉歯氏の鉄筋低減によって耐震基準より下回ったとしても、ただちに崩壊するものではないし、永久に崩壊しない可能性もある。またプロならば分かるが、たとえ震度5強の地震が来ても必ずしも崩壊するとは言えない。(クラックは入るだろうが。)

そのまま長年住み続けることは危険だという意味では、同種あるいは原発事故より軽い問題かもしれなかった。にもかかわらず、行政(国と自治体)はヒューザー案件のマンション住民を強制避難させて追い出した。その結果、「・・・人生設計を大きく狂わされた。」わけだ。

この構造は、福島原発の避難区域の住民と同じである。 避難区域に”放射能が及ぶことが分かっていて”、”ベントを事前告知なしで行った”。 (そもそもベント弁も原子炉建屋上部の構造を壊れやすく作ってあるのも「周辺住民に対して直ちに健康に影響を与えるものではない」という理由から認容されているものであるが。・・・その結果、飯館村の住民などは「・・・人生設計を大きく狂わされた」わけだ。)

実はもっと国の責任は重い。

3月12日、枝野官房長官、保安院、東電は、「放射性物質が大量に漏れるような事故ではなかった」と記者発表していた。(http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/index_0312.html)しかしながら、実際は、ベントを含め水素爆発までの最初の数時間で、1時間当たり1万テラベクレルの放出(合計では数十万テラベクレルの放出)があったこと(これが「大量に漏れる事故であった」からレベル7の発表)を4月12日になって発表し、しかも枝野官房長官は当初から知っていたとまで供述している。

このことがヒューザーの事件と比べてどれほど重く、またどちらのほうが「隠ぺい体質」であるか、冷静に判断してもらいたいものだ。

事故当時からのTVマスコミの失態

本日、政府が今回の福島原発事故がその放出放射線量からして(INES評価尺度)レベル7に相当することを認めた。今頃になって発表したのは、情報公開に対する国際的な圧力に配慮してのことだろう。(大気中濃度は外国がいずれ測定すれば分かることなのでいつまでも秘匿にできない。)

1ヶ月前からマスコミの報道に対してずっとブルーな気持ちでいるのは私だけではないだろう。1号機が水素爆発を起こした際に、大量の放射性物質が放出されたにもかかわらず、枝野官房長官、保安院、東電は、「放射性物質が大量に漏れるような事故ではなかった」と記者発表していた。(http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/index_0312.html)

その根拠としては、「格納容器が爆発したのではなく、水素と酸素が結びついて爆発した」からという発表だった。

そして、この時から既に私の怒りは始まった。”水素が漏れたということは、炉の内部から放射性物質が漏れていたということであり、建屋が爆発したということは、建屋に溜まっていた放射性物質が放出されたことではないか”と。 さらに建屋内に使用済み核燃料棒の貯蔵プールがあること、3号炉ではプルサーマル燃料を燃やしていたこと、を一切発表しないのはどうしてなのか?”と。

さらに、3月13日朝に1号・3号炉の放出弁を開放した際に大量の放射性物質が上空に放出されたが、事前告知が行われず1時間ほど経ってから記者発表を行ったこと、そしてその際の記者発表での枝野官房長官及びその他TVでの専門家のコメント・・・”想定される範囲内で管理された形で「微量の」放射性物質が「手順に基づいて」行われており、人体に影響を与える放射線が放出されているものではなく安心して欲しい”という内容・・・に怒りが上昇した。

さらに、「モニタリングポストの放射線の急上昇は一時的なことで、よくあること」という補足も付け加え、保安院はこの時点で「レベル4」と発表していた。(http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/index_0313.html)

このとき東京でも0.9ミリシーベルトが観測されたというのにである。そもそも「手順に基づいて」やるのならば事前に告知すべきではなかったのか?

また3月21日に降雨の予報が出た際にも、各TVでの専門家のコメントは、上空の放射性物質がまとまって原発近辺に落ちるので、原発近辺から外に拡散しないという意味ではプラスに働くと考えて良い、というものだった。保安院の記者発表でも、屋内退避地域の住民に限って、雨に濡れた場合には洗い落とすようにといった限定的な説明しかしなかった。。(http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/kanren_0321.html)

そして23日、東京の水道水から基準値を超えた放射性物質が検出され、幼児への摂取が制限される。・・・なんというお粗末であろうか。

あまりに事態を軽視しようとするバイアスがかかった結果である。

続 海洋汚染

ついさきほど、東大法学部卒(修士号を持っている)彼と食事をした。桝添要一を高く買っている原発推進論者だ。
彼は水産庁が発表したように「放射性物質は魚介類の体内では濃縮されない」と主張してきた。しかし高濃度で検出されたというニュースを、まさに彼は今頃、そのニュースを知るだろう。
ちなみに彼は、大船渡市や釜石市の湾口防波堤についても「津波が来ても大丈夫なように国がつくってますから被害はないはずですよ」と言っていた人物である。

日本は海洋の放射能汚染に対してどのように責任を果たすのか

私は、約25年前、民放の「朝まで生×××」が始まった当初にスタッフとして関わっていた。そのときは、円卓に座るパネラーだけではなくて、観客席にもゲスト級の論者が座っていた。
1986年はチェルノブイリの事故が起きた年だから、原子力をテーマにした討論が多かった。何回目であったろうか、原発推進論者の桝添要一(当時東大教授)が、「そもそも(みなさんは)核抑止力の存在自体を認めないんだから(話にならない)」と唱えたとき、観客席に座っていた私は思わず「なんて単純なやつだ」とつぶやいたら、隣に座っていた小中陽太郎さんがにっこりしてうなづいてくれたのを覚えている。
小中先生の真意はむろん分からないが、親近感を覚えたし、ひょっとしたらこの人は切れる人かもしれないなと思った。
今、研究室の隣に東大法学部卒の院生がいて、彼は桝添要一先輩のことを高く買っているようだ。
私としてはロンドン軍縮時代の争点に似ていると思った。
すなわち、当時の日本には大艦巨砲主義(どの国よりも大きな大砲を持った巨大な戦艦を持つことで抑止力を有するという考え)を唱える論者の方が、空母機動部隊を特化した方が抑止力を有するという論者よりも世論を獲得していたらしいが、核武装主義も原発推進主義も同じに思えてならない。
実際に核武装したところで「いくさ」で効率的に使えるのか?使えないものを持っていて本当に抑止力と言えるのか? 原発もそうだ。汚染されたブラウンフィールドや海洋のクリーニング代を含めて、資源や予算を効率的に使っていると言えるのか?
私のような論者は25年前から2ヶ月前まではずっとマイナーであり、思想的差別を受けることを恐れてなおさら書けなかったと思うが、今では勇気を持って書ける。
果たして今回の事故で汚染された海洋の責任を東電なり日本政府が果たすとすれば、その調査費だけでも数兆円では済まないだろう。東電は海洋では拡散されて被害はそれだけ薄まると説明しているが、生態系に蓄積・濃縮されていく部分については手のつけようがない。重金属は魚介類に蓄積・濃縮されることは良く知られているがマイナーアクチノイドがどのくらい蓄積・濃縮されていくのかについては十分な研究はなされていない。
かつて、ソ連が行っていた日本海への核廃棄物の海洋投棄、米国ビキニ環礁、仏国ムルロア環礁などでの核実験への痛烈な批判は、もはや自国に対してなされるべきだろう。