建築学とまちづくりのちがい

自分も建築学を学んだ者の一人として思うのは、その形を残すという行為の中に自分の記念碑を建てるという目的が少なからず隠されていることだ。

それに対して、まちづくりというのは地域住民の記念碑を建てることであって、そこに自分を残そうという目的はほとんどない。

これまで建築学の諸先輩方といっしょに仕事をしてきたが、この点で水と油である。建築の先生方はいわば自己主張の塊であり、それが価値である。まちづくりは自己主張がない。価値そのものがない。

しかし、世の中では「まちづくり」というと建築学といっしょに見る傾向がある。それ自体はかまわないが、ときどき「あなたは何がしたいの?」と言われる時がある。

私に「ある」のではなくて、あなたがたの見えないところにある理想的な世界観をこの地上にミニチュアとして成立させるためにお手伝いしているのです・・・それは後から結果として見えてくるものなのです・・・と言いたいのだが、その真意を分かってくれる人がどれだけ少ないことか。

それどころか、ついには専門職とはみなされず、事務のパートのごとく労働対価を低くみなされる。実際には時間も労力もかなり費やされるし、明晰な頭脳と判断を決するリスクを背負わなくてはいけない重責だというのに。

労働対価をたたき売りされると、悔しさがこみあげてくる・・・そういうあなたたちは、いくら給料もらっているの?・・・って言いたくなる。

わたくしはバブル世代だからそう思うのかもしれないが、当時は小さな会社でも新卒一人を入れるのに、年間500万円では利かなかった。会社側としては一人につき1千万の支出を見込んで、それくらいの覚悟で、雇用したものだ。

今はどうだろう。年間300万円にも満たないというのに、従業員にえらそうなことを言う輩がいる。

私は思う。いくらデフレだからっていったって、年間300万円じゃ、この道で生活なんてできないよ。

議員にでもなるしかないかな。